第二次世界大戦中の収容所での日系カナダ人の教育への 宣教師達の役割(NHKドキュメンタリー) 柴田隆典ヘンリー先生(ジャムズネット・カナダ)

戦前の強制収容所で、キリスト教のミショナリーの方々から英語教育を受けられた方々(当時高校生)のインタビューがNHKのドキュメンタリーとして放映されます。中には、JAMSNETカナダ名誉議長の柴田先生のお話も入っています。当時、日本が真珠湾攻撃を行って以降、カナダでも日系カナダ人は敵性国人として職や財産を奪われ、教育権を奪われ、太平洋沿岸100マイル以東のインテリアBC等々に強制収用されたことは、ご存じの方が多いと思います。
 それに対して、日本に滞在している間に迫害を受け、帰国後、強制収容所で日系カナダ人のために、英語教育を行った宣教師の方々の存在はご存じない方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 その宣教師の方々のお墓はカナダのハミルトンにありますが、そこの日系合同協会の牧師をされていた方から、NHKのシニアディレクターの紹介があり、JAMSNETカナダ傳法先生も、モミジ・ヘルスケア・ソサエティにいらっしゃる方々の取材には、橋渡しをされました。

今回、報道日程が決まりましたので、お知らせいたします。NHKワールドで今週の金曜と土曜日に放映されます。関心のおありの方は、是非ごらんください。
第二次世界大戦中の収容所での日系カナダ人の教育への宣教師達の役割(企画されたNHKドキュメンタリー)
※このドキュメンタリーは、8月23-24日に放映されます
 https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/live

以下、柴尾先生からのメッセージです。

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第二次世界大戦前後のカナダでの日本人及び日系カナダ人の歴史は、政治家やその他の者達の人種差別と偏見の為に残酷なものでした。
然しその暗黒な時代に忘れかかっていたのは、我々に優しく心から支えの手を差し伸べて下さった数々のカナダ人です。 その中にはロッキー山脈の中部に建設されました数々の収容所で、何千人もの日系カナダ人の教育に援助して下さったキリスト教会の宣教師と教員達です。
教会は、以前から我々が世話になった西海岸の数々な所に設立してくださった幼稚園と同じく、キャンプでも幼い児童達の為に幼稚園を設けて下さいました。 然し小学校は設立したのに、BC州政府が同様に責任を持たなければいけない高等学校の教育は、個人の文通教育で良いと宣言したために、キリスト教会がHigh School教育も受け持ってくれたのです。
今年の初めに、東京の株式会社NHKエンタープライズが、戦前日本にカナダのキリスト教会が創立した学校で、日本の児童の教育を主に受け持っていた宣教師達で、戦時中に捕虜交換条約の為にカナダに送還されて日本人が収容されているキヤンプで再び日系カナダ人の教育にも貢献し、また人達のドキュメンタリーを企画されました。そこでこのような混乱極まる時代に、この様な方々の知識を持っている人達を探しはじめました。
私は以前からこのような人達の著しい貢献は、日系カナダ人の歴史の中に含まれるべきだと考えていましたので、2017年にバンクーバーで日系国際博物館と文化センターの館長のシェリー梶原様にこの意思を伝えました。
この様に私の念願が実ることは夢のようでした。
1944年に、私は小学校の教育を年長の二世の先生達、校長先生のIrene Uchidaと先生のMiyo Goromaru, Molly Hirayama、Kaz Suga のおかげで無事終了しました。これらの先生達は、作家Frank Moritsugu とGhost Town Teachers Historical Societyの共同出版の本 “Teaching in Canadian Exile (カナダ追放中の教育)”に掲げられています。
その年に、Miss Frances Gertrude Hamilton が校長先生で後4人の教員達が教員であるLemon Creek High Schoolの一年に入学しました。 Hamilton先生は1925年から1942年迄、東京の東洋英和女学院で教員及び校長として勤務され、輝かしい経歴の持ち主でありました。
1942年に彼女は戦時中の交換船で送還され、間もなくLemon Creek High Schoolの校長に就任されました。
現時代で、収容所での高等学校教育の知識を詳しく持っている数少ない者のうちに私がいますので、今年の4月にNHKエンタープライズの国際部門のチーフプロデューサーの右近雅美女子から最初に連絡がありました。 それでまず5月22日に予備的な会合を持ち、主要なインタビューはカメラマンと共に2日間、6月28-29日に行われたました。 インタビューの主な内容は、宣教師先生達の教えが私にその時とその後の未来の生涯にどのような影響を及ぼしたかの話し合いでした。
私は当時、作家かジャーナリストとしてのキャリアを夢見ていましたので、Hamilton先生の担当の英文学の教室に多いに興味を持っていました。 それが切っ掛けで、この素晴らしい先生との一生のおつきあいは終戦後1946年に両親と共に広島に追放されても続いたのでしょう。 
1947年にこの献身的な教育者は日本に再び帰国され、東洋英和女学院で1956年に退職されるまで教鞭を全うされました。
ずっと連絡を取っていましたので、1955年に私が広島大学医学部を卒業した時にわざわざ広島市にきてくださり、私と家族の者と会う事ができました。
その後彼女は、引退されていたBeamsville Ontarioから1970年にMontrealに住んでいました私の所迄親友のMiss Helen Hurd と一緒に訪問してくださいました。
内で行われた右近さんとのインタビューの最中に、戦時中と戦後に撮りました写真をお見せしました。 それと同じく、幸いにもTed Shimizuさんが提供してくださった、彼の父親であったカナダ合同教会の牧師のReverend Shimizuがまんべんなく収容所で撮りました35mmカメラの動画を変換されたDVDがありましたのでお見せしました。 その中にはキャンプ時代に行われた合同教会の集まりのシーンが多くありまして、Hamilton先生を含む他の方々が写っていました。 このフィルムも右近さんは挿入されました。
同じくオタワでは私以外にお爺様がTashmeに当時住んでいましたMatt Miwaもインタビューされました。 その他キャンプで高等学校を経験している生存者を、Vancouver とTorontoでもインタビューされました。
そこでこの英語版が8月、日本語版が10月に放映されるこのドキュメンタリーフィルムの完成を待つばかりです。

柴田隆典ヘンリー  MD MSc FACS FRCSC