「私たちの⽣活は COVID-19 によりどう変わったか =⼦どもの世界を中⼼にその移ろいを考察します」 :ドイツ 柏原 誠氏

導⼊
COVID-19 により私たちの⽣活は全く様変わりをしてしまいました。ヨーロッパでの変化の代表と⾔える ことは、マスク着⽤が普通になったことではないでしょうか。ダイヤモンドプリンセス号が横浜に停泊して世界 の注⽬を集めていた頃は、ベルリンではまだ今で⾔うところの「かつてそうであった通常⽣活」が営まれ、 COVID-19 も対岸の⽕事程度に考える⼈が多かったと思います。記録を辿ると 2 ⽉ 26 ⽇には⼩学校 の保護者会が開催されていましたし、マスクを⼊⼿した⼦どもは学校で⾶び上がって⾃慢して⾒せびらか していました。あれから⽐較すると 8 ⽉になったベルリンは⼤きく⽣活仕様が変わりました。振り返ってみると ⽬まぐるしく変わる社会状況は仕事の上でもそうでしたが、⽣活全般で⾒ると思春期の⼥の⼦と⼩学低 学年の息⼦を持つ家庭としては、⼦どもの⽣活変化に⼤きく影響を受け、家庭内が⼦ども中⼼に変わっ たといえます。親の都合で動いていた家族が⼦ども中⼼になりました。奇妙な話ですが、⼦どもを持つと⼦ ども中⼼の⽣活になる、そしてそういう⽣活をしている、と思っていた今までの「⼦ども中⼼」は「親が考える ⼦ども中⼼」であり、「実働の⼦ども中⼼」では無かったことに気づき、今までの「⼦ども思いの良い親である」 という⾃⾝のおごりを反省させられました。今回は COVID19 による⽣活の変化を、そんな⼦どもの⽣活 を中⼼に振り返ってみたいと思います。


初期(3 ⽉-4 ⽉)
3 ⽉に⼊り少しずつ COVID-19 関連の情報や注意喚起、⼿洗い推奨や少しでも体調が悪ければ 休みましょうなどのメッセージが発せられるようになりましたが、依然として学校登校は毎⽇⾏われていまし た。しかしそんな注意喚起発信の数⽇もしないうちに 3 ⽉ 13 ⽇に急転直下です。3 ⽉の残り 3 週間と 4 ⽉初めの 2 週間のイースター休暇を含め計 5 週間の休校︖休暇︖となりました。この時、世間での通 称は「コロナ休暇」でした。まだ呑気なものでイースター明けには登校できるものと皆が思っていました。しか しさすがに3週間もの間、何の勉強もしないのはよくないということで、オンラインにてその週の課題が出さ れるようになり、それを親が印刷をして⼦供にやらせてチェックをする⽅式が取られました。しかし⼦供は「コ ロナ休暇」の気持ちで全く学習意欲はなく、親が即席家庭教師となりました。⼀⽅仕事を持つ親の⽅は ⾃⾝の仕事でも在宅勤務が始まりました。⼦どもが1⽇家にいて退屈と不平を発し続ける上に仕事+ 家庭教師をすることとなり、学校の有り難さを痛感しました。また 3 ⽉下旬にはドイツ全⼟での接触制限 (外出制限)も始まり、外にも⾏けない、以前の息⼦は毎⽇サッカー漬けの⽣活でしたが、それもできな くなりエネルギーを持て余した猛獣との⽣活が始まりました。
4⽉に⼊ると少し対⼈制限措置にも慣れた⽣活になり、対⼈接触がなければと⾔う前提で外出の頻 度も上がりました。近くの広場(公園は使⽤禁⽌)に⼈が集まるようになりました。そこへ⾏けば数⼈の 知った顔がいるという暗黙の了解が成⽴してきました。仕事を⼣⽅に終えると息⼦とともに広場に⾏き、キ ャッチボールをしたりサッカーのパスやリフティングをしたり、縄跳びをしたり、サッカーのチームメートの家族も 来たりで、個⼈の活動ではありますが運動をする集団が出来上がって、通勤仕事をしていた時よりも健康 的な毎⽇を過ごし、実際健康になりました。体を動かし汗をかくと、やはり⼼も健康で安定した家族⽣活 の 4 ⽉でした。 それぞれが対⼈距離を保ち、屋外の時間を満喫して健康維持に努めています。

中期(5 ⽉-6⽉)
4 ⽉イースター休暇が終わった後も登校はできず、課題をこなす⽇々となりました。⼦どもたちも学校のない⽣活に慣れましたが、息⼦の勉強は⼀向にはかどらず、低空⾶⾏でした。登校授業ができない影響 により、「今学期の成績は前回の成績より下げて評価してはいけない」との教育相の通知があり、⼦どもた ちというより親が課題消化に⽬くじらを⽴てなくなったのが家庭内不協和⾳の改善につながりました。クラス によってはオンライン授業が⾏われていましたが、息⼦のクラスでは課題提出形式だけでした。⼀⽅⽇本 語補習授業校とプライベートのチェロのレッスンがオンラインで⾏われました。通常どちらも気が進まず嫌が る息⼦もオンラインでは楽しく過ごせるようで、いつも次回を楽しみにしていました。COVID-19 が少し落 ち着きチェロの対⾯レッスンが再開された際には、今まで「もうやめる」と決めていたチェロを再び続ける意思 を固めました。余程対⾯で⾳を出すことが楽しかったのだと思われます。 この頃になると業務も少なく、特に国際交流を主とする私の仕事は先の⾒えないトンネルに⼊りました。 なんとか COVID-19 後を⾒据えた活動などに考えを巡らせますが、如何せん現状として⼈の動かない国際交流に⾃⾝の存在意義を疑い出すという不健康な状態に突⼊し、と同時期に制限付きで不⾃由さ はありますが、サッカーの練習が再開され、広場へ通う⽣活も終わりとなって運動量は減り、⼼⾝ともに不 健康な状態となりました。ほぼ⼦どもの⽇課を追う親の⽣活に戻りました。ちなみに思春期の⻑⼥はさす がに親の⼿はかからず、元々緩い⽣活であったために学校に⾏かない⽣活で朝の⻑寝を満喫でき、スマ ホやオンラインでの友達とのコンタクトが⼀⽇中可能になったこともあり、⾃宅⽣活を満喫していました。もと もとの性格もあったかと思いますが、ゆったりした⾃宅⽣活により、登校している⽣活よりも安定した思春 期ぶりを⾒せてくれました。 6 ⽉下旬にはベルリンの夏休みが始まり、親の不健康な状態とは裏腹に⼦どもたちの健康的な⽣活が 始まりました。

後期(7 ⽉)
ドイツの夏の夏休みはその後新学年になることもあり、宿題がありません。最も全ての休暇に宿題はな いのですが。⼦どもはかつて私が過ごした昭和の⼦どもがそうであったように毎⽇⽇が暮れるまで外で友達 と遊ぶ⽇々を過ごしました。安全上⼩さい⼦どもの登校に親が付き添う習慣のベルリンですが、低学年の ⼦供だけで遊び回る光景が広がりました。私にとっても⼦どもにとってもそれは⾮常に新鮮で、⼦どもはこう あるべきだ、というのを体現するかのように⾃由を満喫し、真っ⿊に⽇焼けして汗びっしょりで帰ってくる毎⽇ でした。かつては⼦どものためと思って⼦どもに付き添い運動をする毎⽇が、実は親が外に連れて⾏っても らっていたのだなと、考えが反転した時期でした。あの頃は放っておいても WHO 推奨 1 万歩/1⽇がクリ アできていたのが、これほどまでに 1 万歩歩くのは⼤変なのかと痛感しながらの散歩の⽇々でした。

現在(8 ⽉)
公共交通機関利⽤時と不特定多数者利⽤施設内はマスク着⽤が義務になり、かつ対⼈距離の 1.5m 確保は社会的に浸透しました。夏休みが終わり学校も始まり、⾏動の制限は多少あるものの毎 ⽇登校する⽇常が帰ってきました。COVID-19 の⻑期化での慣れもあるかと思いますが、夏の快晴のも と、気持ちの落ち込みも少なくなった気がします。室⽣犀星は何かの⼩説で、「⼈の気持ちはお天道次第」 というようなことを書いていたことを思い出しました。

まとめ
⼦どもに振り回され、⾯倒を⾒ていると思って⾏動していたことが、実は私の⼼の平穏を保てた拠り所で あったのだと今となっては振り返ることができます。⼦どもには感謝です。⾃⾝の仕事の意味や業務の価値 など考えさせられる時期でもありました。オンラインにより世界のどこででも繋がれることを体験し、お互い近 所にいながらオンランすることと海を挟んだ⼈同⼠がオンラインで会うことの違いがなくなったと同時に、実際 に対⾯することは何なのだろうか、と意味や意義を深く考えさせられました。オンラインの 2D 上で情報の交 換をしつつ、実際に対⾯することによる同時多⽅⾯交流でしか得られない体験を通した⾃⼰変⾰が今後 の交流になっていくのかと思いました。以前は不変な⾃分を作ることで⾃信と⾃⾝を確⽴していくことだと 思っていました。しかし COVID-19 に絡めとられる⽣活を通して、情報は時間と場所を超えてつながり不 変ではありますが、⼈は変化に富む状況に迅速にかつ最適に対応することが最も⼤切なポイントだと感じ ました。COVID-19 による社会活動制限下に考えたこのようなことを基にして、国際交流とは何かと考え た時、その答えは⼈の変化を促すその着⽕材だ、と表現できるようにようやく考えが⾄りました。

柏原 誠(かしわばら まこと)
Charité – Universitätsmedizin Berlin にて公衆衛⽣学修⼠取得。
同⼤学 International Cooperation 勤務。
JAMSNET 東京事務局員、2014 年に JAMSNET ドイツを⽴ち上げる。 2000 年よりドイツ在住。現在 16 歳と 10 歳の⼦どもと妻の 4 ⼈でベルリンで暮らす。
COVID-19 によ り 2D と 3D のコミュニケーションの世界観が変わり 2D と 3D の世界が融合し、物事を 5D で捉えること が必要であると考えが⾄る。次世代移動通信 5G に対抗する次世代⼈間交流 5D を提唱する。

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